いのちの講演会「人間(ひと)は2度産まれます」

人間(ひと)は2度産まれます‼️
1度は受胎(受精)した時に。そして次は、出産により『産まれて』きます。

実は《受胎した時点で生まれている》という事実が《極めて重要》です。

江戸時代は赤ちゃんが
死産でも「安産」と言っていました。

赤ちゃんが亡くなっていても、

「出てきたら安産」であり
お母さんと共に亡くなって
しまうことが多かったのです。

だから悲しいけれど
出て来てよかったねと
泣きながら『安産』と言ったのです。

(35歳から高齢出産といいますが
その影響もあるのでしょう。)

現代では、3人に1人が
帝王切開(カイザー)ですが、

今のカイザーは、
江戸時代ならば 妊婦さんは
皆さん 亡くなっています。

医学の進歩は
ありがたいですね。

私も6人の子供がありますが
妻には本当に感謝の
思いでいっぱいです。

本当に女性は偉大ですね。

下記 たいへん反響のありました記事です。
再掲させていただきます。感謝感謝

🔴皆さんは生命の「誕生」は「いつから」だと思いますか?

🔴「いのち」とは「受胎の瞬間」から「いのち」です。受胎の瞬間から人間であり、生命に尊厳が帰せられる倫理的人格であるのです。しかしその事実以外に、3つの「線引き」があります。すなわち、いのちへの線引きです。紹介しましょう。

(1)胎動感知説

母胎が胎動を感知した時に人間となる

これだと稀に「鈍感な人」が出産まで妊娠に気付かなかったという事例もあり、お腹の赤ちゃんに「いのち」がない事になってしまいます。気付いても気付かなくても「いのちはいのち」です。「感知説」は余りに主観的であり荒唐無稽です。

 

(2)生育可能説(母体外)

 母体外生育可能 以前の胎児は母体の一部にすぎない。母体外生育可能性 を堺に胎児は人間となる。

 近年は医療的補助にて守られるいのちが多くあります。妊婦さんも帝王切開(カイザー)が3分の1。しかしカイザーのない頃は親も子も亡くなっていました。それを医療的に放置して「生きられないいのちは<いのちではない>」と言えるのでしょうか?

(3)受胎の非人間説

胎児は出生と共に
いのちが守られる人格となる。

🔴 産まれてくるまでは(姿が見えるまでは)「お腹の赤ちゃん」は人間ではないというのです。妊娠「とつきとおか」(実質9か月10日)この時間に、いのちの線引きをするなど、何歳まで人間で、何歳以上は人間でないと規定するような愚行であります。まして、姿が見えなければ「殺していい」とは、あまりにも酷(ひど)い考え方ではないでしょうか。

🔴最近の胎児学や、エコー。3Ⅾエコー等によりこのような「下記3つの<いのちへの線引き>」<お粗末な論理>は、破綻しています。

🔴人間は受胎した時点で人間でありいのちです。受胎した時点で「生まれ」お産で「産まれる」のです。

皆さん、いのちを大切に。

赤ちゃんのいのちは、
ご先祖様のいのちの結晶です。
私たちの未来であり希望の光です。

(京都いのちの教育センター主幹 大熊良樹拝)

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